築地豊洲移転問題

生活

築地の移転問題は、20年以上前から議論されてきました。
当初は、取り扱う生鮮海産物や野菜を運ぶトラックが深夜から早朝晴海どおりに列をなしてしまうことが問題とされたように記憶しています。勝どき橋のたもとにあるのが築地市場ですから、勝鬨橋の混雑たるや大変なものでした。
その後、新大橋通や汐留がわからの整備や警察、行政、運送会社、市場関係者の努力や工夫で、勝どき橋や晴海通りの渋滞は緩和され、現在に至っています。その間に、市場自体の老朽化が問題とされ、移転問題が浮上しました。
移転問題が議論はされるもののどこへというのが決着しないまま、築地は築地ブランドとして確立し、仲卸業者、卸業者の仕入れ販売拠点や大口飲食店の一括仕入れ拠点よりも、1店舗だけで営業しているような飲食店や一般の買い物客へもどんどん開放されていきました。現在では、外国人も含め、観光地化しています。

移転問題は、豊洲が候補地と上がったとき、土壌汚染問題がわかり、そのまま先送り、塩漬け状態となっていました。GOサインを出したのは、石原都知事の時代でした。新鮮な食材を扱う市場が汚染された土地の上に建てられることに反対するのは、当たり前だと思われます。その問題点と安全性が解決できると判断したから、市場関係者がそれほど納得していなかった移転が東京都によって、トップダウンのように決められた印象がありました。
化学物質による汚染は、自然界に普通に存在する毒物のように、生分解が起こっていくものではありません。その物質としての安定性は、「沈黙の春」で著されたように、蓄積したままずっと残っていき、かえるも鳥も虫も沈黙してしまう事態となります。
盛り土がなされていなかったという今回露呈した事態と汚染された地下水が上がってきたとき、それをクリアにして海に捨てるシステムが作動していなかったことは、汚染の実態が当初発表されたものより、ずっと深刻だったのではないかと思わせます。

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汚染除去はなんとかなるだろうと判断した人々がいて、土地取得と移転工事が開始しました。対処しても対処しても本当の汚染数値は下がっていなかったのではないかとう憶測を私は持っています。表面の処理は終わっても、地下深くしみ込んでいたものが、限りなく地下水と一緒に上がってくるため、市場の建設が始まる時期になってもモニタリングが必要で、あの地下空間が出来上がり、建設と同時に汚染処理をずっと行ってきたのではないかと思うのです。
汚染した土地をまんまと東京都に売却した東京ガスとそれにからむ決定を下した東京都や農林水産省などの監督官庁に利権が発生していたと考えるのは自然なことです。どこまで追求できるのか、素人の私にはわかりませんが、土地取得の段階から解明してほしいと願っています。
そして、小池知事がおっしゃるように、なんにせよ、事実を包みなく公表して欲しいです。賢い官僚がおバカな一市民たちに知らせると無用な混乱を招くから、最後に辻褄を合わせてしまえばいいと考えることが、辻褄合わせに協力できる企業や団体にこっそりお金を流し、無用な利権を生んでいるように思います。

(※個人の意見感想です)

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