2016/08/30
「アート難民」という言葉をご存知ですか?
今の時代、SNSやブログを利用して、自分の作品を世に出すことは容易になっています。
そのため、今までなら誰の目にもとまらなかったような(失礼)作品も、
発信の仕方次第で、ある程度有名にすることもできるでしょう。
それは決して悪いことではなく、芸術を志す誰もが、芸術で生活していく可能性を見いだせる、
そんな風にもとらえることができます。
アートで生きていくことを目指して
アートを志す若者たちが、目指す場所のひとつが瀬戸内にあります。
瀬戸内という言葉でピンと来る人もいるかもしれません。
「瀬戸内芸術祭」で一躍有名になった、直島をはじめとする島々です。
元々、人口の少ないこれらの島には、瀬戸内芸術祭で日本はもとより、
世界角国からたくさんの観光客や、芸術を愛する人が集まりました。
それは芸術祭開催期間を終えた今もなお、続いているそうです。
今まで無名だった島々は、今や観光名所とも言えます。
観光産業で起死回生を図ったともいえるこれらの島々には、
アートを志す若者たちが続々と移住し始めています。
もちろん、島の人たちも、若い人が増えて島に活力が戻ってくることは歓迎です。
芸術を目指すからには、世界からアートを求めて人々が集まる島に住んでみる。
それは評価を得るためにも、そして大きく飛躍するためにも、
芸術を志す人々にとって、ごく自然な思考なのではないでしょうか。
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なぜ、アート難民は生まれるのか
アート難民という言葉が生まれた理由。
そして、その言葉の意味。
アート難民は、俗にいう難民とは違います。
あこがれの地へやってきたものの、
島になじめず、孤立してしまった人々を指します。
SNSなどでは容易に不特定多数とコミュニケーションをとれる彼らも、
実際に移住した先で、島独特の近所づきあいであったり、
少人数がゆえの結束感であったり、そういったものに戸惑いを感じているのかもしれません。
ですが、島という、ある意味閉ざされた世界の中で
円滑に生活していくためには、そこの風習に従うことが先決です。
それができずに閉じこもることで、島民との意思疎通を図れず
孤立していくアート難民は、島民にとっても戸惑いを感じる存在のようです。
自治会や地区の催しに参加するなどすれば、コミュニケーションも図りやすいですが
こういった移住者の多くは、住民法も映していない場合が多く、
そういった行事のアナウンスも受けられない状態にあるようです。
もしもあなたが移住を考えているなら
島の文化というものは、都会の生活とはもちろん違いますが、
それ以上に非常に閉塞的なものといえます。
もし、そのコミュニティに飛び込んでいく覚悟をするなら、
ぜひ完全にその島に骨をうずめる覚悟で行ってほしいです。
実際にどうなるかは分かりません。
ですが、それくらいの気持ちでいかないと、現実は厳しいのではないでしょうか。
その島の人間として生きることを決める。
それくらいの覚悟があれば、アート難民という存在は生まれないのかもしれません。
芸術を志すにしても、まずは住む土地の人との交流があってこそではないでしょうか。
それなくして作品作りに没頭するだけであれば、移住なんてする必要はないのですから。