旭化成の杭改ざん問題。
元社員から「安全性に問題はない」などという、とんでもない発言が飛び出したりと
メディアでも連日取りざたされていますね。
今回の事件、ほかでも徐々に同社による杭改ざんが発覚し、
問題になっている物件だけでなく、すでに会社全体の規模で
蔓延している事柄なのではないかという話にまで発展しています。
今回の事件に筆者が思うこと
先日、管理人がアップしていた、京セラの稲盛和夫氏の著書
「生き方」を私も遅ればせながら読了しました。
私も非常に感銘を受けたのですが、中でも、
完璧すぎて、触ると手が切れそうだからという意味で使われていた
「手の切れるような商品を作れ」という言葉。
そして、「経営については素人だったが、とにかく正直に、
人として正しくということを念頭に置いていた」ということ。
この2つが非常に印象に残っています。
今の時代、ビジネスというと「PC一つで」とか「空き時間を使う」とか
「簡単に時間をかけずに」とか「効率よく」とか。
なにか目先の、非常に簡単で、ストレスも少なく、
誰にも縛られずに、楽してお金を稼ぐことが良いとされているような、
また求められて(仕事をする側の人間から)いるように感じることが多いです。
ですが、本来の仕事とは何でしょう。
誰かに、物なりサービスなり、何かを提供し、それに見合った対価を払ってもらう。
もちろん例外もたくさんありますが、シンプルに言うとそういうものじゃないでしょうか。
つまり「人のために何かをする」という、ごく基本的なことがまず存在すると思うのです。
冒頭に戻りますが、今回の旭化成の杭改ざん問題も、会社を最初に立ち上げた人は
素直に人のためと思って会社を興したのかもしれません。
ですが、規模が大きくなり、会社として成り立たせる中で、
様々な要素や人間が絡んでいくうちに、
企業として一番の根っこのようなものを無視した結果が、
今回あかるみになった問題なのではないかと思いました。
企業ですから、利益は必要です。
そして個人で仕事をするにしても、もちろん生活していくためにもうけは必要です。
でも、結局のところ、そこだけを追求していたのでは、一時的に豊かになったとしても
それは持続しないのではないかと思います。
人は一人で生きているわけではありません。
人に必要とされない仕事は、徐々に世の中から排除されていくのではないでしょうか。
仕事というのは、人生のかなりのウェイトを占めます。
ごまかしたり、手を抜いて、時間が過ぎるのをただやり過ごすには
あまりに長い時間だと思うのです。
人生そのものというと大げさなと言われそうですが、
思っているよりも人生は短いです。
単純ですが、せっかく仕事をするなら
人に喜ばれ、感謝されるような、それこそ稲盛氏の言うところの
「手の切れるような」仕事をしたいと思うのです。
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