田中貴金属とは

金融・財務・経済

田中貴金属工業株式会社は、明治18年の創業以来、一貫して貴金属取り扱いのトップランナーとして活躍している会社です。創業者の田中梅吉が創業した両替商、田中商店がルーツであり、貴金属の取り扱いは白金の回収から始まりました。当時、電球のフィラメントに用いられていた白金線の回収を行い、やがてフィラメント用の白金線を加工する技術を確立し、貴金属加工品の技術と知識を深めていった歴史があります。

田中貴金属

現在のように貴金属そのものの希少価値を活かす事業が始まったのは、明治25年の事です。現在の田中貴金属ジュエリーの前身である貴金属装身具の卸業者である、清水商店が東京の浅草で開店されます。創業者の山崎亀吉は、現在、金の品位を表現する18金や24金といった規定を日本で初めて提案した人物です。現在に至るまで続く恩恵を日本の貴金属産業に与えた人物であり、日本の貴金属の草分けの一人とも言えるでしょう。

その後、田中商店は貴金属加工品の技術を高め、重要な製品を作りあげていくようになり、大正7年には株式会社となります。社名は現在の田中貴金属工業株式会社ではなく、株式会社田中商店ではありますが、この頃から両替商から地金商としての力を発揮し始めます。

例えば、当時の日本では白金の需要が高まってた事から、英米からの輸入を止めて、ソ連から直接輸入する事に成功しました。大正12年にソ連産の白金とパラジウムの日本総代理店となり、東洋における販売権を一括して引き受ける形であり、取引条件も英米と同等という画期的な出来事になります。この為、輸入される膨大な白金の消化の為に昭和11年に作られたのが、白金製の記念硬貨「白金章」です。これは日本における記念メダルの走りとなりました。

現在の田中貴金属工業株式会社の社名となったのは、昭和18年、西暦で言えば1943年で、戦時中の事になります。このころの田中貴金属では様々な貴金属加工品が作られていましたが、軍需品の生産や、戦時中の国産化推進等から技術力が高まり、戦後社会に必要とされた製品開発に活かされました。

これ以後も、田中貴金属の実力が発揮された機会は様々にありましたが、中でも大きなものの1つに、ロンドン金市場公認溶解検定業者の認定があります。これは日本初の快挙であり、日本で初めて、国際市場で通用する信頼性の高い金製品を作る事に成功した事になります。

田中貴金属の金事業に対する信頼性は国際的にも高いものに成長していき、平成15年にはロンドン金市場公認審査会社に任命されました。これは、世界で流通する貴金属の品位を保証する役割を任せられる会社のみ任命されるもので、田中貴金属が認定された公認溶解検定業者を審査する存在です。世界でたった5社、日本で唯一の存在となっています。

更に2012年にはロンドン地金市場協会の正会員に認定されます。金市場の中心はロンドンにありますが、ここで売買される金地金や銀地金の監督を行う権威ある団体です。

このように、田中貴金属工業株式会社は、日本の貴金属の歴史と共に歩んできた会社です。貴金属加工のトップランナー、地金取引の権威として世界的に信頼を受けています。

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