LANVINの歴史とその魅力

ファッション

1889年、ジャンヌ・ランバンがフランスのフォブール・サントノーレ通り22番地に、婦人用帽子店を開業したことがlanvinのはじまりです。

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のちに彼女はクチュール・メゾンを創設し、娘のマルグリットが誕生してからも自分のキャリアを向上させるために、育児をしながら精力的に仕事に打ち込みました。
その当時では珍しく、育児と仕事を両立させた彼女は革命的な存在であったと言えます。
ジャンヌの仕事への意欲をかき立てたのは紛れもなく娘の存在でした。
娘を喜ばせたい一心で子供服をデザインしたことをきっかけに、1908年には子供服部門を設立します。
それから、その素晴らしい子供服を見た母親たちが自分たちの服を注文したことで、レディスファッション部門を開設することになったのです。

そして、ウェディングドレスコレクションのブランシュという名称も娘の名前にちなんでつけられました。
ジャンヌの創作意欲、 経営者としての意欲は右に出るものがいないほどでした。
世界中を旅することで様々な国から着想を得て、中国、日本、ペルシャなどからも影響を受けました。
また、色へのこだわりは格別に強く、そのために1923年にパリ郊外のナンテールに染色工房を作りました。
特にランバンブルーと呼ばれるラベンダー色のようなブルーは彼女のこだわりから生まれ、ブランドを象徴的な色となりました。

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また、彼女はその時代の芸術家、作家、音楽家などと親交が深く、そうすることで自身のセンスに磨きをかけていました。
そしてアーティストたちの為に服を仕立たことでも知られています。
また、ジャンヌは、服のみならず、1927年にはlanvinの香水、アルページュを誕生させます。


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香水以外にも様々なラインを立ち上げ、インテリアデザイン、ランジェリーなども手がけ、有り余る才能を発揮し、ブランド理念を確立させました。
それから1946年に亡くなるまでジャンヌ・ランバンは経営者として自身のビジネスの発展に尽力し、今やlanvinは老舗メゾンとして揺るぎない地位を確立したのです。

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ジャンヌの死後は娘が経営者として後を継ぎ、その後は経営者の交代はあったもののしばらくは家族経営が続きましたが、1996年にロレアルグループがlanvin社を買収。
そして2001年に売却されたのち、現デザイナーであるアルベール・エルバスがレディースアーティスティックディレクターに就任し、2002年の秋冬コレクションでは、その類い稀なる美的センスがメディア媒体やファッション業界全体から高い評価を受けることとなります。
また、メンズのデザインに関しては2005年以降、ディオール・オムで4年間エディ・スリマンのアシスタントとして経験を積んだルカ・オッセンドライバーが担当し、ブランドの発展に加担することとなりました。
現在この二人の力により、老舗メゾンは伝統を守りながら新しい風を吹き込み、世界中の人々を魅了し続けているのです。

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