ドバイは、アラビア半島に位置するアラブ首長国連邦を構成する国のひとつであるドバイ首長国の首都です。
現在のドバイは中近東における金融、商業、貿易の中心地としての役割をしています。
ドバイは、1970年代に他の首長国とともに独立してから、原油輸出以外の産業にも力を入れる政策で順調に発展してきました。
ドバイの栄光と衰退
2000年に入りますと、金融及び商業、貿易の中心地としての評価が定着して、
特に2003年以降は原油市場が強気であったことも幸いして、
ドバイバブルと呼ばれるような急激な投資資金の流入が続きました。
これによって、
不動産開発などが活発になり、不動産価格や株価が高騰をまねきました。
ところが、
2007年になるとアメリカ発のサブプライムローン問題が徐々に顕在化してきました。
この問題は、ドバイにも波及してきて2007年は、
2000年に入ってからのドバイバブルの頂点となる年となりました。
サブプライム問題が一気に世界経済に影響を与えたのは、
2008年の秋のリーマンショックと呼ばれている経済危機でした。
この世界的な経済危機は、当然ドバイ経済にも大きな影響を与えました。
それは、海外からの投資の引き上げから、
それに伴って地元企業の経営も苦しくなるような状況をうみました。
特に、不動産関連では建築中のビル工事の中止や計画中の案件が白紙に戻されるなど、
目に見えるかたちでわかるようになってきました。
これには日本建設会社やそれに融資している銀行も巻き込まれ、
それら日本企業の株価が下落するという現象もみられたのです。
はじけつつあるドバイバブルを決定的にしたのは、
リーマンショックから1年余経ってからです。
それは、2009年の11月下旬に、ドバイ政府が、
政府に関係する不動産会社等の債務の返済猶予を債権者に求めたことに発します。
債務残高は約600億ドル(当時の為替レートで6兆円前後)という巨額なもので、
これがドバイショックと呼ばれているリーマンショックとは別の経済危機です。
ドバイショックでは投資額の大きかった
ヨーロッパ系の銀行の債権回収に対する懸念から、
ヨーロツパの株とユーロが同時に売られる事態になりました。
ドバイショックでは、当然のことですが、
ドバイの株価も暴落して、その後しばらくは回復できませんでした。
再び回復の兆しを見せたドバイ
2011年以降になりますと、ドバイの経済も順調さを増してきました。
例えば、2012年からの3年間の経済成長率は、
年間で5パーセント前後で安定してきています。
これは、天然ガスや原油輸出が好調であったことや
観光業などの原油に依存しない産業の好調さが寄与しています。
さらに、直近のドバイ首長国連邦の国家予算は歳出歳入共に
10パーセントと近い増加をしているにもかかわらず、
収支の均衡を実現しています。
これは、
リーマンショックと続くドバイショックで赤字予算に陥ってからはじめてのことで、
ここにも近年のドバイ経済の回復がみてとれます。
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