現在では多くの高級ホテルがあり、外資系のホテルチェーンも多く進出してきましたが、日本の顧客を知り尽くした国内系のホテルチェーンはその安心感の高さから未だ根強い人気があります。
その中でも帝国ホテルは、他の草創期の高級ホテルと並んでホテル御三家とも呼ばれる、伝統と格式を持ち味としたホテルです。
帝国ホテルの歴史
その歴史は明治時代にまで遡ります。
隣接する鹿鳴館との密接に関連するホテルとして計画され、日本のおもてなしの空間として機能することになってゆくのです。
以降現在に至るまで、日本を訪れる多くの国賓や著名人を受け入れ、名実ともに日本の迎賓館として存在し続けています。
帝国ホテルのサービス
帝国ホテルといえばその卓越したサービスと共に、過去の建築史においても重要な役割を果たしてきました。
初代の建物は建築家渡辺譲による、木骨レンガ造りのものでしたが、大正時代に失火により全焼してしまいました。その後に再建されたのが、有名な建築家フランク・ロイド・ライトによるものです。徹底した完璧主義のために予算をオーバーし、中断の憂き目にも会いましたが、関東大震災にも生き残り、空襲で損傷を受けながらも日本のホテルの象徴として復活を果たしてきたのです。
この建物は「ライト館」として人々に親しまれてきました。
1960年代後半には様々な事情から、惜しまれつつもライト館は閉鎖され、取り壊されてしまいましたが、愛知県犬山の明治村では玄関部分を再現したものを見ることができます。現在の建物は近代的な高層建築ですが、その質の高いサービスに関する信用は随一のもので、数多くの著名人の定宿ともなっています。
帝国ホテルは東京の他に大阪と上高地にもあります。大阪も東京と同じく近代的な高層ビルですが、上高地のみは木造の山小屋のようなクラシカルな建物です。その赤い屋根は周りを囲む高山の稜線からも見ても目立ち、上高地の象徴として訪れる人に親しまれています。また上高地の主要な観光スポットの一つともなっています。
帝国ホテルのサービスは伝統と格式に裏打ちされたものですが、決して旧態依然といった言葉に甘んじることはありません。
常に利用者の視線で、利用者の要望を重視した様々なサービスを展開してきました。
その中には現在日本で一般的となっている様々な施設やサービスの発祥となったものもあります。
例えば今や日本全国の商店街で見られるアーケードですが、これは1922年に「悪天候などでゲストがホテルから出られなくても買い物ができるように」との考えから、宝石店や写真館、旅行代理店など約20店舗をホテル内に設けたのが始まりとされています。
そして意外なところではバイキング料理というスタイルも、帝国ホテル考案によるものなのです。
「スモーガスボード」と呼ばれる北欧の伝統料理をベースに、一つのレストランで和・洋・中とそれぞれの好みに合った料理を楽しめるようにしたものです。
また海外からの著名人を多く迎えるホテルならではの逸話が多数残るのもこのホテルの特徴です。
それらの逸話からは、ホテルマンたちの群を抜いたおもてなし精神をうかがうことができます。
その精神は現在にも連綿と受け継がれているのです。
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